ひとつだけ

読む必要のないブログを読んでほしいです

いらっしゃいませ、こんばんはー

2016年7月に芥川賞を受賞してからずっと読もうと思っていた

たしか村田沙耶香という名前を聞いた時に、なぜかその作家が2013年に三島由紀夫賞を受賞した『しろいろの街の、その骨の体温の』を買って読んだ

文藝春秋は買わなかったように思う(羽田圭介の時は文春買った、火花はいまだに読んでない)

 

『しろいろ(略)』はすごい小説だった。

わたしがそのとき恋人と別れてセンシティブだったこともあると思うけど、自分が田舎町で中高生のあいだ過ごしたときの感情が蘇ってきて、それらを供養できたような気持ちになって、誰もいない真昼の暗い実家の2階で、横になって泣きながら読んでいた

村田沙耶香は、女子中高生の性欲を肯定してこんなに綺麗にえがくことができて、自分よりも大きいものがたくさんある中で暮らしてるあの季節の息苦しさを大人になってこんなふうに書けるなんて、とマジで感動したのだ

その後ゼミで旅行に行った際直近の読書の話になって、わたしの敬愛するJ先生がコンビニ人間を「あれは面白かったわね」とあの上から目線(めっそうもございません)で評したとき、わたしは「村田沙耶香すごくいいですね!!」と叫んだ。

「あら、あなたも読んだの」

「イエわたしはコンビニ人間は読んでません」

「じゃ何を読んだの」

「『しろいろの街の、その骨の体温の』という……」

「ヘエ〜読んでみます」

 

 

 

まあそんなわけで

学生には金がないのである。そして卒業後もわたしは金がなく、ハードカバーの本は滅多に買わない。

小さい頃は親にバカスカ買わせていたがこの歳になるとさすがに遠慮も出る。ここ最近文庫化を待たなかったのは姫野カオルコの『彼女は頭が悪いから』くらいだ(たぶん嘘で、筒井康隆なども普通に買ってるんだけど手元に書名がわからないので割愛しました)

 

それでいよいよ出た。

 

わたしは大学四年生のあいだコンビニでバイトをしていた。あまり積極的にシフト入ってなかったのでほぼお遊びみたいなもんだけど。

板橋区の端っこにあるローソンで。なかなか、文学的な思い出が多くあるよ。

 

そんなうえで楽しみにしてたコンビニ人間だけど。

すごく絶賛が多くて楽しみにしてたけど、思っていた衝撃は受けなかった。

『しろいろの(略)』がすごすぎたのかもしんない。あれはエモーショナルな読書体験のうちのひとつ(これについてよく話してるんだけど、中学生で厨二病まっさかりのときに『人間失格』を読んでエッわたしが今まで思ってたようなことをすでに書いてる人がいるししかもクズだ!!ってなったのがひとつ、飴村行というホラー作家の「粘膜シリーズ」にはじめて触れたさいその中のグロ描写に衝撃を受けてその後しばらく蕎麦が食べられなくなったというものがある←気になった方はぜひ読んでみてください)

 

エモーショナルな読書体験のひとつであったんだけど、それと同様のインパクトを期待してたからそう感じたのかもしれない。

 

 

主人公の古倉さんの感じているコンビニ像と、わたしの思うコンビニ像が異なっていることも原因だった。

 

 

ちなみにわたしはネタバレはわりと平気派なのですが、ネタバレされると嫌だという人の読書機会を奪わないためにネタバレ描写はなしでいきます

なので、表現にわたしの雑な解釈が含まれてしまうと思いますが、なにかあったらお申し付けください

 

 

古倉さんはコンビニを、「神聖」「清潔」「秩序」ってかんじにとらえているだろう。(ほんとうに文学部を出た人間ですか?)

だって詳しく書くとネタバレになっちゃうんだもん。

古倉さんのコンビニのイメージは、読んでもらえればわかるけど「白」だ。

村田沙耶香はもしかしたら白が好きなのかもしれないね

わたしはあまり、コンビニにそういうイメージをいだいてない。それはなぜかというと、『コンビニ人間』のコンビニはおそらく新橋汐留とかのほうの、テレビ局がはいってるビルがあったりするような、人がたくさんいるのに静謐さがある街のコンビニだから。

わたしが働いてたコンビニ、もしくはわたしが通ったコンビニは板橋区や埼玉県にあったので、逆である。「人がいないのになんだかガチャガチャした街」。

そういう場所のコンビニは、客が来んでもなんとなくガチャガチャしている。

まず店員にやる気があまりない。

コンビニというものはほぼフランチャイズなので、店の性質はその店舗を管理するオーナーの性質によっておおきく左右される。

その点でも古倉さんとこのコンビニは、もしかしたら正規の店舗かもしれない。新しかったし。

田舎や地方にあるコンビニはフランチャイズなので、その実態は個人商店がコンビニの皮をかぶっているだけ、てなもんである。

古倉さんとこのコンビニは制服の下にシャツを着てネクタイを閉め黒いパンツを着用するのがルールとなっているが、わたしのコンビニは「動きやすい服装なら、まあなんでもいい」。

 

都心の大きな駅がある区域のコンビニに、外国人の店員がいないことは必ずと言っていいくらいない。古倉さんのはたらくスマイルマートのダットくんは覚えが早い。

都心にあるコンビニには全て1人以上外国人が勤めているといえると思う。データはないが。

板橋区のコンビニはわたしが知る限り日本人しかいなかった。埼玉県のコンビニも。

 

古倉さんは廃棄の食品も律儀に購入して食べている。これは古倉さんの性質ではなく店のルールによるものなんだろう。メタ的なことを言えば村田沙耶香が実際に働いていた(今もやってるのかな?)コンビニのルールなんでしょう。

板橋区のコンビニは、廃棄にするものは持ち帰らず店でならなんでも食べていい。ここまで書いてどういうことまでネットに書いていいのか不安になってきたけど、実店舗の話はしていないのでセーフということにしましょう。

 

スマイルマートの店長はしっかりしているが、わたしのコンビニの店長代理?はしっかりしていなかった。

この人に関して、わたしはすごくおもしろいと感じていたけどブログに書くことはちょっとはばかられる。

わたしの友達にはいつもこの店長代理?さんの話をよくしていた。変わった人だけどわたしは結構この人のことが好きだった。

古倉さんは店長に対し嫌悪感を抱く。

 

 

 

こうして羅列していってもキリがないくらい、わたしが抱くコンビニへのイメージと、古倉さん、作者の村田沙耶香が抱くコンビニのイメージはぜんぜん異なるのだった。

なので、わたしは

①コンビニでバイトをしたことがない人が『コンビニ人間』を読んで面白く感じたとき、どういった点がよかったと思うのか

②コンビニでバイトしたことのある人が『コンビニ人間』を読んでどう思ったか

が知りたくなった。

 

 

さらにいうと、わたしは「コンビニ人間」ではないという点だ。

いやそりゃそうだろってツッコミはあるだろうけど、わたしはこの小説の中で「縄文時代的」

と言われているがわの人間のメンタリティだという自覚がある。でも、古倉さんみたいに少し人とズレていて、わたしが正直にものを言った時のあの周りの人の潮が引いていくかんじ、それがちょいちょい味わえるのはあった。

でも基本的にわたしはミーハーな感性で生きてるので、コンビニ人間のがわに立って感じることができない。

 

 

エンドについてだ。

解説を読んで、たしかになんかすごいエンドだということはわかった。

でも読後感としてはちょっと突き放された感があった。

綿矢りさとか金原ひとみもそうだけど女の人でザクッとした小説を書く人の小説って、スピードを出したままカーブを曲がり切ったあと、みたいな読後感でおわるものが多い気がする。

グーーーッとからだが引っ張られていって、重力に負けてたおれた、そのまま。

おわり。

ってなぐあいに。

 

ベビーエンドというのを知らなかったけど、まあたしかにそれは陳腐でおしあわせで続編を感じさせることが出来る商業的においしい終わり方である。ていうか、それこそ縄文的。男と女が繁殖した結果です。として終わる。

 

生まれ直し、という意味にとらえると、すごく神秘的だ。

前に仏教の「内観」について読んだことがあるけどそれっぽい感じ。

序盤で宗教というワードが出てくるけど、それは意図された仕掛けなのかもしれない。あるいはわたしのよくある深読みしすぎ。

けど、宗教みたいといわれた古倉さんの即座の切り返しからみても、古倉さんは変温動物のように生きるサイコパスのようでいて自分が信仰を必要としている、体温のある人間だと自覚があったのではないかと勘ぐってしまう。

↑こういう自分よがりな文章を書くとJ先生に怒られるきがする。

 

 

あと、わたしは白羽という人間にすごく腹が立つタイプの人間だった。

 

 

 

 

結構長々と書いたけど、この文章はわかりづらくて良くない文章だと思う。

でもこのブログを読んでいるあなたたちは読みづらい悪文に慣れている人たちなので校正などはせずにそのまま出す。

古倉さんが白羽に「餌」をだしたのとおなじ調子だね。