kurakurakimari

きまってません

他人のつらさが可視化されることに意味あるのか

こんばんは。

今はじめてPCからっログインしてこの記事を書いているのですが、死ほども使いこなせてなくて涙が出そうです。デザインすら変えられねえ。まったくなさけねえ。

今回はPC更新ということr¥でグルーヴ感を重視するためにあえてミスタイプはそのままにしていく試みでいってみましょう。

 

まずは近況を報告です。

先日やっと卒業論文を提出することd¥ができました。今までの人生で一番ちゃんと頑張った行為だったかもしれない。それでも他の人よりはがんばれていないような気もするのですけど。

提出するまでほんとチキンレースかしててまじでつらかったから、阿割ったとたん日付とかがどうでもよくなっちゃって日々がとろとろと溶けて行ってまs。

深夜のお笑い番組をただ受信してb¥人間みたいな形を保っているだけのものです。けしょうも、してないし。

 

研究対象のことがほんとに好きだなえと思いました。調べることをするごとにああ、だからこの人はこのようなしょすえつを書くことができたのだあな、と思うことがあって、研究するまでは仕組みが分かっていなかったことも意図がほんのりわkるような気がしたりなんかして、よけいに面白いなあって思えん¥真下。

だいぶ誤字がい¥酷くなってきたので、これより先は修正したものをお届けいたします。

 

口頭試問があることと、補足?みたいなものの提出(私だけが義務付けられたものではありません)があることがちょっと不安なんですけど、まあがんばります。

 

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年が過ぎてゆきますね。

その研究した作家の小説で「つごもり」という言葉を知って、すてきだなあと思ったのでした。ただ年末というのではなくつごもり、巣ごもりっぽくて口に出したくなる音ではありませんか。

年の瀬というのはひとびとがさまざまにそれを越えるための準備をして、他の国では十二月がすべてお祝いにつかわれたりはたまた年末のみを祝ったり、時期が違ったり、いろんな冬があることをわたしは知っているのですが、

好物のえびを食べながら紅白歌合戦の出場順についてきみとLINEしあうこの冬が、わたしにとっては至高のような気がしたり、またはまったくもってそうではなかったりもします。

 

 

もっとちゃんとしたブログを書こうと思っていたのにあとであとでと伸ばしているうちにまたこれだ。わたしのやる気は空気に溶けやすく、いつのまにか夜寝坊のエアコンの風と同化していくばかりなのでしたあ。

 

パソコン更新は楽しいなあ。:))←にじゅうあご